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八女提灯の歴史
壱、八女提灯誕生
現在の八女提灯は、福岡県八女市に在る福島町で生まれた為、昔は福島提灯と呼ばれていました。
福島提灯は、文化年間(1813年頃)に福島町の荒巻文右衛門(あらまきぶんえもん)によって創製されたと伝えられています。
当初、文右衛門が創製した提灯は場提灯と称されて売り出されました。
場提灯は墓地等に吊り下げて使用するもので、山茶花(さざんか)や牡丹(ぼたん)などを単色で描いた大変素朴な提灯でした。
これが福島提灯(八女提灯)の起源です。
文化年間といえば今から約二百年程前になりますが、その頃には提灯が創製される条件が既に整っていました。
蝋燭(ろうそく)の原料である木蝋、火袋の材料である和紙、骨の材料である竹、加輪の材料である木材、これらの好条件が揃い福島提灯は生まれました。
文右衛門が創製した場提灯ですが、その後、素朴ではありましたが他に余り類を見なかったせいか売れ行きが比較的良好だった為、同地方の人で副業としてこれに携る人が頻出しました。
そして柳川地方の柳川提灯と共に筑後地方一円の需要に応じることとなりました。
更にその一部は福岡の博多に送って九州北部の沿岸地方及び九州沿岸の各島に転売しました。
福島提灯は専ら中元魂祭に供する仏壇用のものが多かった為、八女地方は盆提灯の産地として名声を博しました。
■場提灯(ばちょうちん):直径約30cmの丸型、火袋は厚張り、骨は笹竹製で1cm以上の粗目。
■木蝋(もくろう):ウルシ科のハゼの実から取れる蝋(ろう)。
■火袋(ひぶくろ):提灯の紙の部分。
■骨(ほね):火袋の内側に巻かれているもの。
■加輪(がわ):提灯の上下についている筒状の枠。
■柳川提灯(やながわちょうちん):地蔵提燈と言われていたが現在はその跡を絶つ。
■盆提灯(ぼんちょうちん):お盆にご先祖様の霊を祀るために飾る提灯。
弐、第一次改良
降って安政年間(1854〜59年頃)に入り、同じく八女市福島町に住む吉永太平(よしながたへい)という者が意匠を凝らして盆提灯の前途に一大革命を起こしました。
提灯の竹骨を一条螺旋式に改め、また典具帖紙に類似した薄い手漉き和紙を用いて仄か(ほのか)に内部が透けるようにしました。
そしてこれに山水・草木・花鳥等の幽邃(ゆうすい)なる色彩文画を描画した為、品位が大変上がりそれが雅致(がち)風流に富んでいた為、涼み提灯として九州全土に大いに歓迎されました。
即ち都人はこれを盛夏の折節に、軒下や楼上等にかけて納涼用としたのです。
しかしながらこの提灯は描き絵に手間と費用が大変掛かり、従って価格も嵩み大量生産もできなかった為、広く一般の需要に応じることは出来ませんでした。
■一条螺旋式(いちじょうらせんしき):細く裂いた竹を薄い和紙で一本に繋ぎ、そうしてできた骨を螺旋状に巻く技法。
■典具帖紙(てんぐじょうし):向こうが透けて見えるほど極薄の楮紙。
■手漉き和紙(てすきわし):楮(こうぞ)を原料に、機械ではなく人の手で漉いた和紙。八女の特産品の一つ。
参、第二次改良
明治初年に入ると藩政府の贅沢禁止令(ぜいたくきんしれい)が解かれ、一般庶民の生活様式における諸制限が撤廃された為に、福島提灯に対する需要が急速に伸びる条件が生まれました。
この情勢に対応するために吉永太平の弟、伊平(いへい)が早描きの描画法を応用して、大いに製造時間と価格を低減することに成功しました。
これが福島提灯における第二次改良の端緒といわれています。
また、形状・絵画・付属品等も年を追って工夫改良を施したので各地の需要も急速に増加し、更に販路を拡大する為に一部は米国(アメリカ)・英国(イギリス)・香港(ホンコン)・英領印度(インド)等の海外にも輸出されるようになりました。
そして遂に重要物産として世の称賛を博するまでに至りました。
福島提灯はその後八女地方全域で生産されることとなった為、「八女提灯」と呼ばれるようになりました。
■早描きの描画法:原画を描いてこれを一定の順序で一つ一つ模写してゆく法。
参考文献:「福島提灯沿革」「福島提灯小史」
そして八女提灯は、平成13年7月3日に経済産業大臣により、経済産業省として初の「日本の伝統的工芸品」に指定されました。
このページの内容はWikipedia(ウィキペディア)に掲載いたしました。
2006年12月26日 (火) 11:19(JST)